株式会社ハクヨー 木谷光伸

1月
07
2013

株式会社ハクヨー木谷光伸

ご氏名をお願いします

木谷 光伸 (きたに みつのぶ)

現在のご所属などは?

株式会社ハクヨー 代表取締役社長

代表商品

ハクヨー吟醸兼用製麹機 (通称:5段式製麹機)

思い出の醸造物 or 好きな醸造物 or 最近はまっている醸造物などを一品教えてください

滝野川の醸造試験所の大吟醸(飛鳥山)

その理由やその醸造物にまつわるエピソードをぜひ!

父・雅信の会社に戻ることになり、醸造試験所に研修生として入所し、岡崎先生の下で麹の研究のお手伝いをさせていただきました。そこで最初に出会った大吟醸が醸造試験所で造られた大吟醸でした。

びっくりです。最初に口にした時、目から鱗でした。日本酒というイメージが一変してしまいました。30年前の話です。当時はまだ大吟醸はほとんど市販されていませんでした。幸い、熊谷先生と同じ研究室で、熊谷先生の仕込みを二年手伝わせてもらいました。夜中の麹の当番は研修生・講習生7~8人に任されます。2時位までは皆で酒を飲んで起きていました。4時の番、6時の番の担当を決めて夜中に起きて番をしていましたが、果たして先生の思っておられたものが出来ていたかどうか。全国鑑評会金賞受賞が私達のせいで途切れなくて良かったです。(その後、醸造試験所の酒は参考出品になったようです。)

あの時のインパクトがその後の日本酒の普及活動の原動力になっています。現在は「名酒の殿堂」で毎月きき酒会を主催しています。

写真

父が戦後、定量瓶詰機を全国販売、ヒットさせて、株式会社ハクヨーの基礎を作り、ピストンポンプ・麹切返機・エアシューター等を販売し、最後に製麹機の開発にのめりこみました。改良改良の繰り返しでようやく完成した機械です。全国の銘醸家に使っていただいています。

昭和59年写真のような本社ビルを建て、日本酒の普及活動も行っています。

ご略歴

昭和56年4月 国税庁醸造試験所に研修生として入所

昭和57年 株式会社ハクヨーに入社

平成6年 社長に就任し、今日に至る

ご趣味

全国の日本酒を飲むこと

自分で作った色々なぐい呑みで晩酌すること

ご紹介者・土井様からのメッセージ

貴社ハクヨー製麹機との出会いにより安定した良い糀ができる様になり今日の会社が有ります。

神宮外苑での展示会の出会いが開運の始まりです。御子息光伸社長も頑張っておられ、業界発展に寄与され感謝致しております。

土井様へメッセージを!

父は高齢の為、土井様の了解を得て私が引き受けさせていただきました。

土井様とのつながりは、昭和50年にハクヨーの製麹機を納めた時からのご縁です。品質向上という大命題のもと、採用していただき酒が良くなり売り上げも伸びたといつも喜んでくれました。昭和50年、今から30数年前、日本酒業界はピークを迎えております。今日では多くの蔵が販売量を大きく落としています。しかし、「開運」はおそらく30数年前と比べて大きく飛躍されました。今日あるのはうちの父との出会いがあったおかげと感謝していただき、こちらも身に余るお言葉と感謝しております。

私の結婚式では乾杯用に開運のお酒を頂きました。参列者一同感動するお酒でした。今でも親戚や友人から“あの時のお酒”と言われます。

告知などがございましたらお願いします

①土井酒造場前波瀬杜氏からもいつも「小蓋麹よりいい麹が出来る」「ムラがなく、ハゼ落ちもなく、ふっくらした感触がいい」「栗香が高い」とほめて頂きました。

私共は、機械とは言っても手造り以上のものを造ることに主眼を置いた機械を作っておりますので、そのように言われることが何よりの喜びです。

②昭和43~47年の5年間、熱海で全国の名杜氏さんや先生方を毎年120名近くお招きして、麹造りとハクヨー三段式製麹機の研究会を催した時の記録本が若干あります。当時の酒造りに携わる方々の熱意が伝わる本です。ご希望がありましたら、贈呈いたしますのでご連絡下さい。

最後に今後の抱負や期待することを教えて下さい!

世界に誇れる日本酒を造るために酒造メーカーの力になりたいと思います。

若者をはじめ、もっと幅広い人達に、美味しい日本酒を知ってもらい、身近な「酒」として飲まれるようになることを期待します。

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