醸造業界で活躍する方々の「自分のお気に入りの醸造物・それにまつわる思い出」「醸造にかける想い・抱負」等を綴っていただく『いい醸!』。発表いただいた方の紹介により次回のご担当者が決まるため、意外な繋がりも見えるカモ!
 あなたが発表する日も遠くありません。その際はぜひ思いの丈をぶつけてください。

 更新は毎週月曜日・お昼の12時です!


1月 30 2012

株式会社永山本家酒造場
永山貴博

 

ご氏名をお願いします

永山 貴博

 

現在のご所属などは?

株式会社永山本家酒造場 専務取締役 杜氏

 

代表銘柄

「男山」「貴」

 

思い出の醸造物 or 好きな醸造物 or 最近はまっている醸造物などを
一品教えてください

静岡の清酒「喜久醉」

 

その理由やその醸造物にまつわるエピソードをぜひ!

思い出の醸造物という表現に対しての回答として正しいかどうかは分かりませんが、現在の「貴」の酒質設計に多大な影響を与えたお酒の事を書きたいと思います。まだ私が酒造業界の駆け出しの「貴」というブランドも立ち上げていない頃、先輩から情報を聞きつけ、都内の有名地酒専門店さんの大試飲会に一般参加した事がありました。会費は1万円とそれほど安くは無いのですが、各蔵元が出品酒クラスの大吟醸を持ってきており、十分納得できる内容でした。しかし、どの蔵元も勝負酒を勧めて来るため、「カプロン酸エチル」の高いお酒、華やかな香りの生酒などを試飲(呑んでましたけど)していくうち、私は飲み疲れていました。そんな時、醸造研究所時代お世話になった静岡の「喜久醉」蔵元の青島さんが蔵元ブースにいらっしゃいました。

「喜久醉」を呑んだ時、思わず「うまい!まだ呑める!!」って叫びました。静岡型のきれいなイソアミルタイプのお酒を私は知らず知らずの間に求めていたのでしょう。華やかなホテルでの試飲会の場合どうしてもカプロン酸エチル型に代表されるような「美人型」のお酒を蔵元は提供しがちですが、呑めるお酒というのはこういう事なのだと目からうろこが落ちました。その時から現在「貴」のコンセプトとなっている「癒しと米味」という方向に迷いがなくなったような気がします。

 

写真

 

 

 

 

 

 

 

原発問題も冷めやらぬ4月19日に会津若松の鶴ヶ城において福島県の蔵元さん達と一緒にお花見をしました。震災・原発問題と先が見えない中、一丸となって頑張ろうという福島県の蔵元の団結に心打たれた一枚です。

 

ご略歴

昭和50年山口県宇部市出身。

山口県立小野田高等学校終了後、カナダバンクーバーに2年間語学留学。

帰国後、平成8年に国税庁醸造研究所(現、独立行政法人種類総合研究所)酒類醸造講習を受講。その後原料研究室において酒米の研究を行う。

平成9年より自社にて酒造りに携わり、平成13年より家業である永山本家酒造場の杜氏となる。

平成16年に山口県内の若手の勉強会「山口県青年醸友会」を立ち上げ、初代会長となる。その後、平成18年より山口県酒造組合需要開発委員長として山口県初の東京での会食イベント「山口地酒維新」を企画、運営する。

 

ご趣味

ロードバイク、温泉・サウナ、食べ歩き、旅行(出来れば海外)

 

ご紹介者・東海林伸夫様からのメッセージ

今から、約140年前の戊辰戦争では会津藩の敵だった長州藩。その長州藩で「貴」という綺麗な酒を造り出す男「永山貴博」。今では同じ志を持つ同志として、これからも一緒に業界復権のためにがんばっていきましょう。

 

東海林様へメッセージを!

いつもお世話になっております。最近毎年のように京都の酒の会でお会いするのですが、140年前、私達長州藩は「テロリスト集団(自分長州人はそう思って無いですが)」、会津藩は「京都守護職」という立場でした。それが今の時代では、facebookやtwitterなどで情報交換し、消費者の方々に少しでも日本酒を身近に感じていただけるよう情報発信をする同志になりました。これから立ち向かわなければならない激動の時代、共に頑張りたいと思います。

 

最後に今後の抱負や期待することを教えて下さい!

日本酒は、私の父親の時代(昭和50年のピーク頃)は国内消費だけで十分やっていけた。平成に入り級別が無くなり純米酒が台頭してきて、日本酒も海外に輸出されるまでになった。今はまさに「日本酒開国時代」といえる。日本食と共に、もっと日本酒が海外で呑まれる時代が来ればよいと願っている。逆にそうでなければ、次世代を引き継ぐ人達に「日本酒」が夢を与える事など出来ないだろう。

 

リンク