酒母やもろみの環境は酵母にとってかなり厳しいものです。ところで、酵母にとって極楽とは…。最も「気持ちいい」温度が25〜30℃です。それに加えて、pHは酸性でもアルカリ性でもない中性、酸素いっぱいの新鮮な空気、適当な濃度(1〜2%)のぶどう糖、アミノ酸、それにほど良いバランスのミネラルやビタミンから成るご馳走で、これらが揃っていれば「グー」です。
 これに比べたら、もろみの温度(最高温度)は吟醸造りで10℃、本醸造酒や普通酒でも15〜17℃ですから、もろみの中では「おゝ寒む!」です。それに、比較的強い酸性の環境ですし、酸素も少ない。ご馳走は甘すぎるので、浸透圧が高いのです。
 このような環境を酵母はストレスと感じます。加えて、発酵が進む結果現れるアルコールも酵母にとって強いストレスになります(図−1)。


1.艱難汝を玉にす
図ー1 酵母が感じるストレス
 ストレスから酵母を守ってくれる/耐性を与えてくれる Hsp12やHsp70といったタンパク質。
 また、トレハロース(糖の一種)やグリセリンを細胞内に貯めてストレスから細胞を防御する。

 酵母は徐々に厳しい環境に慣れさせていくことによって、ストレスに対する耐性も獲得されます。まさに「艱難汝を玉にす」です。さらに、生もとや山廃もとが盛んであった頃には、もと分け直前に「温み取り(ぬくみとり)」と称して品温を30℃付近に上げる操作をしました。高い乳酸濃度と10%ほどのアルコールのもとでいきなり高温にされるのですから、酵母にとっては「シゴキ」です。こうして、シゴキに耐えられない弱い酵母を淘汰したのです。
 一方、われわれ飲み手は勝手なもので、酵母にとってより厳しい環境を求めます。つまり、低温ほど、味がすっきりした淡麗なお酒になりますし、香りもいわゆる吟醸香といわれる果実様芳香をたくさん生成してくれる傾向にあります。ですから、清酒もろみの中は酵母にとってかなり辛いわけです。発酵しているタンクに耳を当てて彼らの嘆きを聴いてやって下さい。「プツプツプツ…男(酵母)はツライヨ!」でも、このおかげでわれわれは、あの美味なる吟醸酒を味わうことができるのです。


 

2.最も厳しく危険なストレスはアルコール
 ところで、何といっても最も厳しく危険なストレスは酵母自身が造るアルコールです。麹菌など多くの微生物に比べて、清酒酵母はアルコールに強いのです。とはいっても、アルコール濃度が8〜10%を超えると出芽して増殖する( Part 1 参照 )ことができなくなります。そして、アルコール発酵は15%までは順調に進みますが、これを超えると犠牲者(死ぬ細胞)も出ます。15%を超えると、「悠然と」アルコールを造り続けているように見えても、その実アップアップしながらというのが実情です。そして20%がほぼ限界です。

3.ストレスに耐える仕組みは…
 では、いったい酵母はどのようにしてストレスの多い環境に慣れたり、耐えたりするのでしょう。最近ようやく分子生物学や遺伝子工学的手法などで、その一部が明らかになりつつあります。アルコールに耐える仕組みは最も興味のあるところですので、これを例にお話します。
(1)細胞にとってアルコールとは  アルコール(エチルアルコール)は、水によく溶けるし油脂や脂肪にも溶け込み、加えてタンパク質を凝固させる性質も合わせ持っています。このような性質のアルコールが酵母細胞に対してどんな影響を及ぼすかを考えてみます。
 アルコールは勿論ですが、これに限らず、ストレスを受け止める最前線は、酵母細胞を包んでいる細胞膜(Part 1 参照) です。ところで細胞膜は、図−2のように脂質が整然と列んだプールの中に、いろいろな機能を持つタンパク質が浮いている構造(膜構造といいます)です。この構造は、細胞内の小胞体などにも見られます。脂質は温度が高いと溶け(液体)、低いと半固体(ゲル状)になっています。このプールにアルコールは容易に入り込み、細胞膜を軟らかくします。軟らかくなった膜からは、酵母にとって大切なアミノ酸などが漏れ出します。さらに、タンパク質を凝固させるアルコールの作用はタンパク質の立体構造を壊し、それが酵素なら失活し、化学反応を行えなくなります。したがって、細胞は生命として機能できなくなる危機に曝されるわけですから、大きなストレスになります。
(2)対ストレス防衛策  その1:細胞膜を堅固に! 先ず、軟らかくなる細胞膜を堅固にすることです。そのために、脂肪のプールではエルゴステロールと形が直線的な飽和酸を増やします(図−2参照)。また、Hsp12というタンパク質(図−1の傘)をつくってダメージを受ける細胞膜を守ります。Hsp12には、細胞内に貯めるトレハロースやグリセリンと共に水分不足による乾燥から細胞膜を守る作用もあります。その2:傷害を受けたタンパク質の修理  Hsp70タンパク質(図−1の傘)は、アルコールや突然の高温に曝されて(ヒートショックといいます)傷害を受けたタンパク質を復元するのを助けます。

図−2 細胞膜の模式図
 細胞を包み込んでいる薄い膜、細胞膜はしん脂質が相互に向き合った二重の構造体(脂質二重層という)で成り立っている。そして、その外側は薄いタンパク質のシートで覆われており、細胞膜の厚さは、0.008μm(8ナノメートル)ほどです。
リン脂質を構成する脂肪酸が飽和状態の場合、形は直線的であり、堅固な膜になります。一方、不飽和酸だと分子の形はわん曲するため、隙間は大きく、軟らかい膜になります。このようなりん脂質の間にアルコールは自由に侵入し、構造が不安定な軟らかい膜(流動性が高いといいます)になります。脂質二重層はコレルテロール(酵母ではエルゴステロール)なども構成成分になっていますが、この図では省略しました。
 は、りん脂質のプールに浮かぶタンパク質で、その存在形態には図に示したようなものがあり、いろいろな機能を持っています。
 以上がこれまでに明らかにされたアルコールに対する防衛策です。話を簡単にしたため、省略した部分も沢山あります。特に、ヒートショックに対処するタンパク質はHsp70タンパク質以外にも多く知られています。ついでに、浸透圧や酸に対する対応も見ましょう。その3:高浸透圧  高浸透圧は細胞内の水分を奪い取ります。この対策には細胞内にグリセリンを貯めて内外の浸透圧差を調節します。その4:酸と食塩  酸性の本体である水素イオン(H+)と食塩の主体であるナトリウムイオン(Na+)。これらのイオンが酵母の周囲に多くあると、細胞内に流れ込み、必要以上のH+ やNa+ は勿論ストレスになります。Na+ はお酒では問題になりませんが、味噌や醤油造りに係わる酵母や微生物では無視できません。細胞内に流れ込むH+ やNa+ はそれぞれ専用のポンプでただひたすら細胞の外へ汲み出すことで対応しています。これらのポンプは細胞膜に設置されています。
 なお、植物では低温で、H+ 専用のポンプが働かなくなることが知られています。

おわりに
   ちょっと話が複雑で難しくなりましたが、酵母の細胞はいろいろ巧妙な仕組みを備えて外部からの異常な刺激やストレスに対処していることがお判りいただけたと思います。このような厳しい環境にも拘わらず「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ…」力強くお酒を醸し出してくれる清酒酵母に感謝せざるを得ません。

Copyright (C) 2008 Brewing Society of Japan All Right Reserved.


「Part 1 清酒酵母ってどんな生き物?」はこちらから

「Part 2 清酒酵母ってどんな生き物?」はこちらから

「Part 3 清酒酵母のアルコール発酵(その1)」はこちらから

「Part 4 清酒酵母のアルコール発酵(その2)」はこちらから

「Part 5 清酒酵母の系譜しらべ」はこちらから

「Part 6 酵母ちいう名前の由来」はこちらから

「Part 7 泡なし酵母物語」はこちらから

「Part 8
酵母の変り種−赤い清酒酵母−」はこちらから

「Part10殺し屋酵母」はこちらから