清酒酵母の中に赤い顔(菌体の色)をした変わり種がいます。お酒を飲んで酔った訳ではないのにです。もちろん、お酒に漬かっていても酵母は赤くなりませんが…。  今回は、赤い顔をした変わりだね「清酒酵母」の話をします。


 いろいろな微生物をシャーレで培養していますと、時として赤いコロニー(酵母などの菌の集団)が見つかることがあります。ただ、この種の赤いコロニーのほとんどは、清酒酵母とは全く違う「ロドトルラ」という種類の酵母であることが多いのです。でも、極稀には自然突然変異を起こして清酒酵母も赤くなることがあるのですヨ(図−1)。
この種の 酵母は、ある種の栄養成分を与えないと生えて くれませんから「栄養要求株」と言われます。特定の栄養成分を要求するということは、その成分を 酵母が自分で造れないということです。われわれヒトでもビタミン類や必須アミノ酸(ロイシンなどの8種)、リノール酸などの成分がありますネ。
  清酒酵母が赤くなるのは、アデニンという核酸を構成する一成分が造れなくなった栄養要求株のひとつです。専門的には「アデニン要求株:ade1− やade2− 株」と言われる酵母菌株です。

 

1.赤い清酒酵母は、ADE1橋が落ちた株
 アデニンが酵母の細胞内で合成されるためには、 図−2のような経路を辿りますが、リボースからAMP(アデノシンモノリン酸)まで8つの橋(各反応を触媒する酵素)があり、その中でADE1 橋が落ちると、そこから先へ反応が進めなくなり(図−3)、5−アミノイミダゾールリボシドが蓄積します。この物質が重合して、赤いポリリボシルアミノイミダゾールになります。



          図−2 酵母のアデニン合成経路  ade1橋が落ちると、そこから先に反応が進めなくなる。

 これまでは、話を判りやすくするために、ADE1、ADE2橋などと言ってきましたが、このADE1〜13はそれぞれの遺伝子に付けられた名前です。実際 に反応を進めるのは、これらの遺伝子を設計図として造られる「酵素」で、ADE1は、ホスホリボシル-イミダゾールカルボキサミドシンテターゼ(???)と称します。覚えきれませんネ。
  赤い清酒酵母、アデニン要求株(ade1-)は、遺伝ADE1が欠落するか、何らかの理由で働かなくなったため、反応がその場で止まり、酵母にとって必要なアデニンが造られず、栄養素として培地から摂取しなければなりません。ところが、アデニンが豊富にあると、酵母にとって、図−2の一連の反応自体が必要ないため、働かなくなり、酵母が赤くならないという難しさがあります。でも、清酒造りはうまくいったものです。酵母の栄養として必要な最小限のアデニンは麹から供給され、これが有り余るほどでもないため、図−2の一連の反応も進み、 図−4のように、酵母も清酒もろみも赤くなってくれます。 何とハッピーなことでしょう!。お酒造りにはこ んな微妙なこともあります。

 

2.優良きょうかい酵母のアデニン要求株の育種と酒造り
 赤い清酒酵母は、実は全く新しい話でもないようです。古来、酒造りの現場では、もろみが突然赤くなることがあったといいます。これは、これまでに述べたような理由が判るはずもなく、不思議なこととされ、「猩々もろみ」と称されていたといいます。現在では、きょうかい10号酵母の突然変異株が育種され、使われます。
  でも、この赤い清酒酵母は非常に弱く、増殖が遅いという問題があります。図−1で赤いコロニーは、周囲の白いものよりかなり小さいですよネ。コロニーが小さいことは、同じ培養時間で、それだけ生育が遅いからなんです。ですから、他の酵母が侵入すると大変です。もろみでは、かわいそうに赤い酵母は白い酵母に乗っ取られてしまいます。こうなると、当然のことながら赤くなりません。
 赤いお酒造りには、ことさら清潔に注意して他の酵母の侵入を防いだり、多量の酵母を用意する工程である酒母の歩合を高める工夫をします。

 

 

 

3.雛祭り−桃の節句−のためのお酒
 何も雛祭り・桃の節句でなければというわけではありませんが、TPOを考えればこの季節に、となります。それに、赤い色素は酵母細胞の液胞(Part 1参照)に貯えられ、ほんの一部しかお酒へは出てこないという現実的な問題もあります。つまり、バックが澄んだお酒では赤橙色になってしまいます。図−5に示すように、色鮮やかによく映えるのはバックが白いにごり酒なのです。これを白いにごり酒と紅白ペアにして、お目出度い席で喜ばれることも多いようです。
 今から20数年前、東京の醸造試験所で、この酵母が育種され、試作品のお酒が完成し、「飛鳥山の花吹雪」と命名して秘かに祝ったことが思い出されます。


おわりに
  近年、お酒造りには多種多様な酵母が使われ、香りもいろいろ、味も甘辛濃淡いろいろです。このように、香りと味は多様化されていますが、「色」はまだまだです。赤い酵母はその突破口を開いたといえますが、目を楽しませるお酒がもっとあってもいいですネ。今は「夢」に過ぎませんが…。
 ちなみに、アデニン要求株で蓄積される5−アミノイミダゾールリボシドやポリリボシルアミノイミダゾールには変異原性が無いことがいちおう確認されています。

 

【参考文献】
大内弘造:清酒酵母の研究−'80年代の研究−、p.94、清酒酵母研究会(1992)、 ほか

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「Part 1 清酒酵母ってどんな生き物?」はこちらから

「Part 2 清酒酵母ってどんな生き物?」はこちらから

「Part 3 清酒酵母のアルコール発酵(その1)」はこちらから

「Part 4 清酒酵母のアルコール発酵(その2)」はこちらから

「Part 5 清酒酵母の系譜しらべ」はこちらから

「Part 6 酵母ちいう名前の由来」はこちらから

「Part 7 泡なし酵母物語」はこちらから

「Part 9 酵母はつらいよ!−ストレスとその克服−」はこちらから

「Part10殺し屋酵母」はこちらから